チャイムを鳴らす。
するとドアの向こうから走ってくる音が聞こえてくる。
それにいつも頬を緩める。

出迎えてくれるメイドにもドアの向こうにいるのは俺だとわかっているはず。
会社を出る時にメールをしておいたから。
それもまぁ毎日の事。

朝出かける時は、いってらっしゃいのキスをもらって、帰る時は今から帰るよとメールをしてただいまのキスをもらう。
いつも極上の笑顔と共に。
そのすべてをもらえるのは俺だけ。

キスも。
柔らかな温もりも。
笑顔も。

それに今日はのだめの大好きなケーキ屋でたくさんお土産を買ってきたからもっともっと甘い笑顔が見れるはず。
俺はドアが開かれるまでの時間にんまりと頬を緩め、手に持ったケーキの箱を見下ろした。

「おかえりなさいませ!」
勢いよく開かれるドア。
そして満面の笑みののだめ。
いつもと同じようにやわらかな愛しい存在を抱きしめた。

「ただいま。」
「えへ、メールがきてからずっと待ってたんデスヨー。」
ウキウキとした声でのだめは俺に抱きつきシャツに顔を埋めた。
少しだけ強く抱きしめて充電して、ここが玄関の外だったことを思い出してとりあえずのだめを家の中へと連れて入った。

後ろ手にドアを閉めるとのだめの柔らかな唇が俺の唇に触れる。
かわいらしい口付けに満足して何度か啄ばむとのだめの唇がとても甘い。
あれ?
いつも甘いけれどこれは…。
そっと舌を口内に入れるとそれははっきりとわかる。
甘い甘い砂糖の味。
唇を離すとキョトンとした顔でのだめが俺を見上げていた。

「おまえ、なんか甘いもの食った?」
甘いものが大好きなのだめは虫歯になりそうなほどよく甘いものを食べている。
だけど俺が帰ってくる頃には夕飯も近い時間だからあまり甘い味がすることはないのに…。
「ふおぉ!よくわかりましたね!」
キラキラと目を光らせるのだめに俺は苦笑する。
「キスが甘いんだよ。っとに今から夕飯なのにあんまり夕方にお菓子食べるなっていつも言ってるだろ?夕飯食えなくなるぞ。」
「お菓子は別腹デス。だからダイジョーブナンデスヨ。」
その言葉にコツンと額を弾く。
「ばーか。せっかくケーキ買って来てやったのに。」
「ふおー!」
箱を見せると途端にまた表情を明るくする。
だけどいつもほどの極上の笑みではない。

「?どうした??ここのケーキ好きだろ?」
箱を持たせてやるとのだめは少しだけ気まずそうに眉を寄せて俺を見上げた。
「のだめ、今日ここのケーキ食べちゃいマシタ…。」
「え?」
「で、でもすっごく嬉しいデス!!明日食べてもイイデスカ??」
俺の表情に落胆を感じ取ったのかのだめは笑顔を作って俺を見る。

喜んでくれている。
それはわかってるけれどなんだか…。

「ケーキ、どうしたんだ??今日、どこか出かけたのか??」
あまりあからさまにガッカリしている姿を見せたくなくてのだめの背中を押してリビングへと進む。
もっと喜んでくれると思っていたのに予想が外れて気分が落ち込む。
リビングに入ると鞄と夕飯の買い物が入った袋をテーブルの上に置くとテーブルの上にあったケーキの箱に目を落とす。
自分が買ってきた箱とまったく同じもの。
「どこにも出かけてナイデス。お隣さんがくれたんデス。」
「隣?」
のだめの言葉に箱から目を離し、振り返る。
のだめは俺が買ってきたケーキの箱を大事そうに抱えてすぐ傍で俺を見上げていた。

隣。
どんな人が住んでいただろうか??
仕事が忙しくて近所づきあいなんてほとんどしていないから隣にすんでいる人がどんな人なのかすら知らない。
「隣ってどんな人が住んでたっけ?」
「この間までは年配のご夫婦が住んでたんデスヨ。でも最近子供さんと一緒に住む事になったからって引っ越しちゃったんデス。で、先週新しい若い男の人が引っ越してきたんデスヨ。なんとご主人様と同じ歳らしいデスヨ。」
ニコニコとした顔で言うのだめに俺は口をへの字に曲げた。
若い男?
そんなのがのだめにケーキをくれるなんてどう考えても下心があるとしか思えない。

「よく知らないヤツからモノをもらったりするな。」
固い声で言い捨てるとのだめは唇を尖らせる。
「?よく知らない人じゃないデス。お隣さんデスヨ。毎日会ってるし、のだめがケーキ大好きって言ったらくれたんデスヨ!!しかもなんとあのケーキ屋さんのパティシエさんなんデス!!それで…」
頬を赤く染めて力説する姿はかわいい。
だけど俺の表情にのだめは言葉を止め、俺を見上げた。
俺の心は冷えていく。
毎日会ってる??
俺がいない間、隣のよく知らない男と会って話してその笑顔を振りまいているのか??

「ご主人様?」
強張る俺の顔にのだめが不安げに首を傾げる。
いつもならそんな顔させたくないから大丈夫だって、何でもないって言って抱きしめるのに。
今日はそれが出来なかった。

手が震える。
のだめを束縛する事なんて俺には出来ないのに。

それでものだめは俺だけの宝物だと思っていた。

それがガラガラと音を立てて崩れていく感覚。
それにただ心が冷えて頭に血が上る。

「俺がいない間に他のヤツに会うな。」
「え?」
「おまえは俺のメイドなんだから言う事を聞け。」

そう言って背を向けた。
「ご主人様??どうしたんデスカ??なんで?」
パタパタと小さく音をたててのだめは俺の傍まで来るとジャケットの裾を掴む。
「お前は俺の言う事を聞いてればいいんだ。」
固い声でそう言い捨てて俺はのだめを振り返ることなく机に置かれていたケーキの箱を持つをそれをゴミ箱に落とした。

「あ。」
ゴミ箱に箱が落ちた瞬間のだめは小さく声を洩らした。
それに俺の心はまた冷えていく。
「飯を作るまで部屋にいろ。」
「でも…。」

そんなに俺ではない男からもらったケーキが惜しいのか??

振り返った先にいたのだめの顔は俺を見ていない。
ただゴミ箱を見ていた。

さっきまで大事に腕に抱えられていたはずの俺が買ってきたケーキの箱が忘れられたようにのだめの腕の中で傾いていた。

腕にある俺の買ってきたものより、ゴミ箱に落とされた隣の男からもらったものを惜しむような視線に俺は息が詰まって、何もかもむちゃくちゃにしてしまいたくなるような想いに囚われる。

腕を伸ばす。
のだめの腕で忘れられたように傾いていた箱を掴むと驚いたような顔をしたのだめがちらりと見えた。
だけど俺にはもう止める事は出来なくて冷えた心のままでその箱をゴミ箱へと叩き付けた。

「ご、ご主人様!?」
「部屋に戻れ!」
「え…。」
「聞こえないのか!?」

そう言って睨むとのだめは泣きそうな顔になって数歩後ろに下がるとそのままパタパタと走ってのだめの部屋へと入っていってしまった。

自分で命令したくせに。
消えてしまったのだめがもう二度と自分のところへは戻って来ない気がした。

誰よりも大事なのに。
離したくなんてないのに。

のだめだって俺を想ってくれているって知っているのに。

だけどいまだのだめが俺たちの関係をどう思っているのか核心が得られないから俺にはいつも不安が付きまとう。
だからのだめが他の男に笑顔を向けるのが耐えられない。

どうすればいい??
もしのだめがただ主人として俺を慕っているのならいつかは離れていってしまうのだ。

子供の頃からずっと付きまとう不安。
開放されたと思っていたのに、それは今も俺を苛む。

ドカリとソファーに身を落とした。
そして顔を覆う。

のだめは部屋で泣いているかもしれない。
今すぐごめんと謝って抱きしめるのが一番の方法だと思う。
そうすればまた今までと通りの2人に戻れるだろう。

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