昼はメイドで夜は恋人。
そんな最強の恋人を俺は手に入れた?

「ご主人様!」
今日も元気に響く愛しい声。
いつものメイド服のスカートを元気良く跳ね上げて声の主はさっきから部屋の中を行ったり来たり。
その腕の中には俺と彼女の洗濯物がはみ出しそうなくらい溢れている。

それを見ながら俺は手に持っている新聞で口元を隠しながら小さく溜め息を吐いた。

せっかくの休日、洗濯なんて後でいいと言ったのに午前中には片付けてしまいたいとのだめは張り切って仕事中。それが俺には結構不満でさっきからずーっと恨めしげな視線を向けているのに当の本人は全く気にせず元気良く跳ね回っている。

嬉しそうだからいいけど…。

なんだかんだ言いつつ俺の最優先事項はのだめが嬉しそうか楽しそうか、笑顔が見れるか…って事だから楽しそうに跳ね回っているなら文句はない。少しは構ってほしいけれど。

でも、まぁ今日はいつもよりかなり構って欲しい。

何故ならのだめと俺が漸く恋人になれて初めての休日だから。

長い長い片思いのような、そうじゃないような微妙な日々を漸く終える事ができて俺はかなり浮かれていた。のだめが俺の事を想ってくれていた事はよくわかっていたけれど臆病な俺はなかなかキチンと答えを出す事が出来なかった。完璧なヘタレ男。昔付き合っていた彩子には何度も罵られた。

けれど漸く想いを告げてのだめから返事をもらえて、俺たちはメイドとご主人様の前に恋人になったのだ。
これからは堂々と俺のものだって言えるし、遠慮をする事もない。
今までだってそうは変わらないじゃんと峰に言われたが、全然違う。
ちゃんと合意が有る、無しじゃ。

「ご主人様?」
一人悦に入って頬を緩めていると急に近くで聞こえた声。
目を見開いて顔を上げるともうキス出来そうなくらい近くに白いのだめの顔があった。その表情は不思議そうで小さく首を傾げている。
目に入るのはいつも少し潤んだ瞳と何も付けていないのに綺麗なピンク色をしている唇。見ているだけでもうすぐにでもキスしたくなる。
しない理由はないからすぐに触れるとのだめはふにゃりと笑った。

 

「仕事終わったのか?」
「まだデス!」
膝の上に乗ったのだめの髪を撫でながら聞くとのだめは張り切ったように敬礼までして元気よく返事をする。
それにちょっとだけ恨めしい視線。
俺は早く恋人同士の時間を満喫したいんだけど?
俺の思いなんて気付かないのだめはウキウキとした表情で俺に抱きつくといい匂いーなんて呑気に笑っている。それに小さな溜め息を一つついて柔らかい髪を何度かポンポンと叩く。
「あとどれくらいなんだ?買い物も行くんだろ?」
のだめの肩越しに壁の時計を見ると11時、そろそろ昼の用意も考えると出掛けたい。本音を言うと外になんて出たくはないけれど本日ののだめのランチのリクエストはカルボナーラ。うっかりした事に生クリームがない。一緒に出掛ける事もなかなか出来ないからまぁいいのだけれどこのままいろんな時間がずれ込むと2人の時間が無くなってしまう。

それはダメだ!

この数日、この休みの為に働いてきたと言っても過言ではないのだ。なのにその休日が掃除や洗濯や買い物で終わるなんて冗談じゃない。
それだけは絶対に阻止しなければ!!

「後は何があるんだ?手伝ってやるからさっさと終わらせるぞ?」
そう言って立ち上がろうとした瞬間、のだめが俺の肩を押さえた。そしてさっきまでの楽しそうな顔を一変させて眉間に皺を寄せた表情で俺の方へとズイッと顔を近づけて来た。
「ダメデス!」
「?のだめ??」

何がダメなんだ?

訳がわからず首を傾げた俺にのだめは子供に言い聞かせるように人差し指を立てて諭すような声を出した。
「これはのだめのお仕事だから、のだめがしマス!」
真剣そのものって言うかちょっと睨みが入っている。
まぁ、可愛い顔なのでまったく迫力はないが。
「…いつも手伝ってやってるだろ?どうしたんだ??」
俺は早く終わらせたいんだけど?
不満と困惑が顔に出ていたのかのだめは可愛い目を増々つり上がらせて立てていた指でビシッと俺を指した。

「これからのだめはニューのだめになるんデス!!スーパーメイドさんデスヨ!!なのでご主人様は大人しく座って新聞でも読んでて下さい。のだめはあと、30分で終わらせマスカラ!」

呆気にとられた俺を残して、のだめはうきゃーとか言って叫びながら俺の膝から飛び降りると一目散にベランダへと消えていった。

スーパーメイドさんってなんだ??
って言うか俺はお前にそのスーパーメイドさんよりも甘い恋人になって欲しいんだけど???

のだめの背中を見送って見えなくなった背に俺は大きな溜め息を吐いた。

 

あれから宣言通りきっちり30分で仕事を終えたのだめの腕に引かれて、俺とのだめは近所のスーパーまで買い出しに来ていた。
いつも通り外に出る時は普通のワンピースを着てのだめはスーパーの中を跳ね回っている。
あれでも一応成人しているのだから恐ろしい。ありえないくらいの童顔と相まってどう見ても高校生くらいにしか見えない。
「のだめ、あんまり走り回るなよ。」
「はーいデス!あ、お菓子買っていいデスカ??」
俺が押すカートの横でピョンピョン跳ねるのだめに苦笑を漏らして頷いてやるとヤターと叫んで走って行った。

俺とのだめって恋人になったんだよな?

ふと不安に襲われる。
これでまったくの勘違いだったりしたら泣くに泣けない。

キスはもうずいぶん前からしている。
セックスだって。

それに恋人になってって言ったんだから、さすがののだめでもわかっている筈だ。

けれどのだめは俺を『ご主人様』と呼ぶ。
何度か『真一君』と呼んでくれたが普段は『ご主人様』。

のだめの中で俺ってまさか『ご主人様』の比重がデカイんだろうか?
…それってさすがに凹む。

けれど『恋人』になって数日、のだめの態度はあまりにも変わらない。
今まで長い間一緒にいたんだから急に何もかも変わるわけないのはわかっているけれど、本当にあまりにも変わらない。

変わらなさすぎ。

いや、ちょっと変わったか…?
スーパーメイドだっけ??

仕事に前向きなのは良い事だけど、俺にとってはあんまりいい変化でもない。

のだめは俺をちゃんと恋人だって認識しているのか?

長い片思いのような期間を思うとなんだか不安になってくる。

一度重い溜め息を吐き出してのだめの後を追うべくカートを進めたところで思わず足が止まった。
お菓子売り場に元気よく走って行った筈ののだめが見知らぬ男と談笑している。
やたら愛想が良くて人懐っこいのだめは誰とでも仲良くなる。そのお陰で俺は今までなんどモヤモヤとした感情を持った。今回も多分に漏れず俺は顔を顰めて足早にのだめと男に近づいた。
さっきまでのモヤモヤとした不安と相まって気分は最悪。
「のだめ!」
少し低い声でのだめを呼ぶとのだめは俺を振り返ってふわりと笑った。

 

「真一君!」

え?

思わず不機嫌だったのも忘れてのだめの顔を凝視してしまった。
「真一君?」
そんな俺にのだめは首を傾げて顔を覗き込んでくる。

呼んだ。

なんて不意打ちだ。
俺は一気ににやけそうになる顔をどうにか繕って一度小さく咳払いをした。
「何やってんだ?早く帰るぞ?」
早く帰って抱きしめたい。
名前くらいで現金なもんだと自分で思うけれど、まぁいい。

「あ、真一君。いつものだめがお買い物してる魚屋さんデス。」
「…どうも。」
魚屋と言う割にはまだ若い男は人の良さそうな顔で笑いこんにちはと挨拶してきた。それに小さく頭を下げるとのだめは満足そうに笑った.

「で、こっちがのだめのスウィートダーリン、真一君デス!」

ね?と同意を求められて俺は思わず目が点になる。

スウィートダーリン??

理解した途端一気に顔に血が上る。
「変な名前付けんな、アホ!」
「えー、普通に恋人って言うより可愛く無いデスカ??」
「可愛くねーよ!普通にしろ!!」
のだめの頭を叩いて目の前の魚屋を見ると苦笑を浮かべられてそれではと離れて行った。
また行きマスネーと手を振るのだめを見つつ俺は少しだけ緩んだ顔を隠すように手で口元を覆った。

 

昼飯を食ってイチャイチャしてベッドの中で仲良くし終わって腕に乗った小さな頭を撫でながらのだめの顔を覗き込む。
「なあ?」
「ふぁい??」
「なんで、ご主人様と真一君って呼び分けてんだ?」
細くて触り心地の良い髪を指の間に絡めて、少しだけ引く。それにのだめは少し眠そうな目を擦りながら俺を見上げた。
そして少し考えた後でたどたどしく口を開く。
「えーと、メイド服着てる時はお仕事だから『ご主人様』で、着てない時は普通に恋人だから『真一君』なんデスヨ。」
「分ける必要は?」
「のだめ、すぐ真一君に頼っちゃうからお仕事はお仕事って分けようと思って。」
むんと言いながら握りしめられた拳を撫でて手の中に包む。
「別に俺は頼っていいけど?」
「ダメデス!のだめ今年はスーパーメイドさんになるのが目標なんですから!!」
「へー。」
おもしろくなさそうな顔に気付いたらしいのだめが少しだけ顔を近づけて内緒話をするように声を潜めた。

「でも、もう一個目標あるんデス。」
「なに?」

「真一君のスーパー彼女になるコトデスヨ。」

 

小さ囁かれた言葉にのだめの顔を覗き込むと蕩けるような笑みを浮かべていた。
それに俺の顔もだらしなく緩んでしまう。

「どっちもがんばれって言いたいけど、俺としてはスーパー彼女にがんばってもらいたいな。」
「ダメデス!どっちも平等デス!!」

きゅっと鼻を摘まれて笑い合う。
小さなキスを繰り返しながら俺の不安はすっかり取り除かれて、甘ったるい彼女を抱きしめた。

漸く手に入れた恋人はやっぱり最高の恋人だった。
昼はスーパーなメイドで夜はスーパーな恋人。
こんな贅沢な彼女はきっと世界中を探してもたった一人だけしかいない。

俺は世界で一番の恋人を手に入れた。

end