のだめには運命の人がいるんデス。
きっといつか彼が迎えにきてくれて幸せなお嫁さんになるんデス。

子供のころから何度も言ってきた言葉。
のだめの一番の願い。

だけど本当にその人が現れたら?

なんて言ったらいいのかもわからず、ただ突然の事にポカンと目の前にいる人の
良さそうな男の人を見上げるだけだった。

この人がのだめのずぅっと待ってた人??

真面目そうな外見。
優しげな柔和な笑み。

あの男の子に会ったら顔を覚えてなくても名前を覚えてなくてもきっと一目でわ
かるって思ってたんデス。
だけど目の前の人を見てもちっとも思い出せない。
少し不安になって無意識に胸元の指輪をギュッと握った。

今まで信じてきた何かが壊れたような気持ちになっていたらポンと頭に軽い衝撃。
顔を上げるとそこには少し心配そうな顔をした千秋主任。
形のいい眉が寄ってマス。
「大丈夫か?」
心地よい低い声が私を気遣ってくれる。

大好きな声。
大きな手が頭を優しく撫でてくれることに満たされる。
コクンと頷くとフワリとした笑みを返してくれた。
その笑みにまた心まで満たされて手の中の指輪をギュウっと握った。

突然現れた運命の人かもしれない人。
その人は私をちゃんと覚えていてくれた。

それはずーっと思い描いていた理想のはずなんデス。
でも…。

千秋主任を見上げる。
主任は少しだけ難しい表情してマス。

のだめ、千秋主任の事も好きになっちゃったんデスヨ。
複雑な気持ちになっているのだめには気付かずに黒木君は笑って言葉を紡ぐ。
「あ、僕そろそろ行かないと。めぐみちゃん、よければ今晩とか一緒にご飯とかどうかな?いろいろ話したいんだ。」

何年も思い浮かべていた再会では嬉しいって笑顔で言うはずだったのに。

現実ののだめは千秋主任を見上げた。
そして口は勝手に言葉を吐き出してしまう。
「今日は主任とご飯食べる約束してるんデス。」

ああ、なんでこんな事言っちゃうの??
のだめの言葉に主任は驚いた顔をしてのだめをじっと見つめた。

「あ、あぁ。そうなんだ…。じゃあ、また暇な時にでも。」
黒木君は少し困ったような苦笑を浮かべる。

それに少しツキンと心が痛んだ。
キュッと手の中の指輪を握り締める。
断ったのに優しげな黒木君の顔に迷いが晴れない。
そんなのだめの頭にまた優しくポンと手が置かれた。
「久しぶりの再会なんだろ?俺とはいつでもメシ食えるんだから行ってきたら?」

頭上から降ってきたのは千秋主任の声。
顔を上げるといつもと変わらない優しい笑顔。
それに何故かまたツキンと胸が痛くなった。

あれれ?

なんで???

大好きな主任の笑顔。
いつも安心出来て満たされる笑顔になんだか泣きたくなった。

「のだめ?」
「でも…、今日のメニュー決めていいって。」
「明日でもいいよ。久しぶりなんだから行っておいで。」

今度はツキンじゃなくてズキン。

確かにのだめと主任は恋人でもなんでもないけれど、そんなに素直に送り出されると悲しくなってしまう。
のだめが気付いたくらいなんだから頭のいい主任には黒木君が指輪の送り主かもしれないってことにも気付いてるはずデス。

少しも気にしてもらえない事が悲しくてのだめはそれを振り切りたくて無理矢理首を縦に振った。

そしたら黒木君はニコニコしてじゃあと待ち合わせの時間を言って足早にその場を去って行った。

とぼとぼと歩きだすのだめと主任。
「いい人そうだな。」
「そうデスネ。」
「…、嬉しくないのか?昔の友達だろ?」
主任のその言葉になんだか泣きたくなって、それを誤魔化すように少しだけ強く言葉を吐き出した。

「だって、のだめ全然覚えてないんデス!」

ちっとも。
ぜんぜん。

もし黒木君があの男の子なら、のだめはとっても嫌な子デス。

「…、子供の頃の友達の顔なんてなかなか覚えてるもんじゃねーよ。だから別におまえは薄情者じゃないし、もしまた仲良くなりたいと思うならこれから新たに関係を作っていけばいいことだろ?」
千秋主任はそう言ってまたポンとのだめの頭を叩いた。
そうなんデス。
のだめだってそれくらい頭ではわかってる。
だけどちっとも思い出せない薄情な自分がとっても嫌になるんデス。

そしてそれだけじゃなくて黒木君との食事よりも主任とご飯を食べたかったとがっかりしてる自分がいるから。

こんな嫌な子って知ったらきっと主任はのだめの事嫌いになっちゃいマスヨネ。
あんなに思い出の男の子を運命だと言っていたくせに…。
そう思うとどんどん落ち込んできて泣きたくなった。
その後、主任とわかれた後ずっと憂鬱で夜なんて来なければいいと思って、そう思う自分にまた嫌悪した。

だけど時間は容赦なく過ぎていき、定時を過ぎてとうとう待ち合わせの時間になってしまった。

のろのろと歩き、待ち合わせの場所に着くと黒木君はすでに待ってくれていた。
人の良さそうな優しい笑みを浮かべて私の名前を呼ぶ彼に少しだけ憂鬱な気持ちが薄れて小さく笑みを返せた。
とっても良い人なんだ。それは彼を見るだけでわかる。
「ごめんなサイデス。ちょっと遅れちゃいマシタ。」
「僕もさっき来たところだよ。全然待ってないから大丈夫。」
ニコリと笑みをくれる黒木君にのだめも自然に笑えた。
なんだか胸につっかえるようなモヤモヤは晴れないけれど、ニコニコとのだめに話し掛けてくれる黒木君に少しだけ楽しい気分になれる。
そして2人でのだめのお気に入りのイタリアンのお店に着く頃にはすっかり打ち解けることが出来た。
「ここは千秋主任のオススメのお店でのだめも何度か連れてきてもらったんデスヨ。すーっごく美味しいんで、お気に入りデス。」
席に着いてすぐにそう言うと黒木君は一瞬驚いた顔をして、すぐに苦笑した。
「恵ちゃんは千秋さんの事大好きなんだね。」
「ほえっ!?」
苦笑しながらさらりと言われた言葉に目を丸くすると益々黒木君はおかしそうに笑った。
「ホントに昔から変わらないなぁ。子供の頃も恵ちゃんが好きな人は誰にだってすぐわかったから。」
黒木君の言葉にツキンとまた胸が傷んだ。
少しだけ淋しそうに笑う黒木君に浮上しかけていた気持ちが一気に萎んでいく。
だけど何か言わなきゃと口を開いた。

「あの、のだめずっとこの指輪をくれた男の子が運命の人だって思ってきたんデス。デモ…」

そう。
ずっと、ずーっと子供の頃からそう思っていた。あの男の子が迎えに来てくれてすごく幸せなお嫁さんになれるって。
なのに、千秋主任に出会ってからのだめの心にはいつも思い出の男の子よりも千秋主任がいるんデス。
思い出の男の子かもしれない黒木君が現れてもそれは変わらなくて、黒木とこうやって話している間も主任の顔ばかり浮かんでしまう。
これってやっぱり。
言葉を不自然に切ったのだめに黒木君は穏やかな笑みを向けた。

「恵ちゃんにとって思い出の男の子の存在は大きかったんだろうけどさ、思い出の中だけの人より今自分の側にいてくれる人に惹かれるのはおかしいことでも駄目なことでもないよ。恵ちゃんは昔に囚われ過ぎて大事なもの見逃してない?君にとって一番大事なのは思い出?指輪?それとも今側にいてくれる人?」
「のだめが大事にしたいコトは。」
思い出は大切。
指輪だってもちろん。
だけど、いつもさりげなく守ってくれるあの人と比べたら?
「のだめ、千秋主任が大事デス。」
のだめの為にストーカーを殴ってくれたり、美味しいご飯を作ってくれたり、一緒に眠ってくれたりするあの優しい人代えられるモノなんてない。

「やっぱり変わってないなぁ。」

きっぱりと言い切ったのだめを黒木君は目を細めて見てる。
その顔は穏やかでさっきまでの少しだけ淋しそうな表情はなかった。

「めぐみちゃんに元気のない表情は似合わないよ。千秋さんの事はまだこれからかもしれないけど、がんばって。」
そう言って微笑む黒木君に彼があの男の子であってもなくてものだめはきっと好きになっただろうなと思った。
それは千秋主任への好きとは違うものだけれど。
のだめも一番の笑みを返す。
「ハイ、がんばりマス!」
「うん。じゃあ、ご飯食べようか?冷めちゃうともったいないもんね。」
「ハーイ。」

お気に入りのご飯を食べながらぽかぽかした気持ちになる。
それは黒木君がとても優しかったからだし、そして今まで毎日抱えていたモヤモヤがすっきりと晴れたから。

思い出は大事。

でものだめは千秋主任が好きだから。

もう迷いません。

きっと振り向かせてみせます。

 

「めぐみちゃん。運命はね、きっと近くにあると思うよ。」

黒木君の言葉に励まされるように頷いた。

 

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