「おはよーゴザイマス!!」
血色のいい顔で元気よく笑い、目の前で信じられないほどのスピードでメシを食ってる女が憎い。
対する俺は食欲どころか、足りていない睡眠のせいですぐにでも寝れそう。

昨日は怒涛のような日だった。
のだめの部屋に行って大掃除してストーカーに狙われているくせにのほほんとしている姿に
痺れを切らして自分の家まで連れて帰ってきた。
まぁ、そこまではいい。
問題はその後。
あろうことか目の前の女は広い部屋で眠れないとか言い出して俺の部屋に下着みたいなカッコで
押し入ってきやがった。
そして何故だか逆らえなかった俺はのだめと同じベッドで一晩過ごす羽目になった。
まぁ、それでもまだ最初はまだよかった。
なんかお泊りみたいでたのしーデスとかはしゃぐのだめの話を聞きつつ、ベッドの端と端で寝ていたから。
そのうち小さな寝息が聞こえてきて…、その後。

ギュウッと背中に抱きつく柔らかい体。
引き剥がそうとしたけど、しっかりくっついて離れない。
そのまま俺は朝まで眠れずに過ごした。

ようやく明け方に離れた隙に慌ててベッドから出て大きく息を吐いた。
ベッドで気持ちよさそうに眠るのだめに視線を落とすとまぁいいかという気持ちになったのは不思議だけど。

あんまりにも無邪気な寝顔に俺はしばらく髪を梳いて頭を撫でながらその寝顔を見ていた。

…そんなことはまったく知らないのだめは俺が作った朝食をガツガツと豪快に食べている。
たまにおいひーとか、主任って天才デスとか叫んでもいるが…

あー本気で眠いな。
そんな欠伸しかけた視界で揺れたペンダントに視線が奪われる。
あ。
のだめの首で今日も揺れている指輪。

のだめはどういうつもりで今でもそれを持っているんだろう?

「なぁ、それさ。」
気が付いたら口に出していた。
「ふえ?」
「その指輪。」
俺が指差すとその瞬間のだめは今まで見た中で一番の笑顔になった。

「これはのだめの世界で一番大好きな人がくれた指輪ナンデス!!」

そして勢いよく話される過去の約束と思い出の男の子。
どれもこれも俺だって知っている話だが、そんなことはおくびにも出さず軽く相槌を返す。
今までで一番綺麗で可愛い笑顔。
いかに子供の頃の俺が素晴らしいかを知らずに自信満々に本人に話している姿は無邪気だ。
だけど俺の胸は少し痛む。

過去の自分を愛してると言う姿になんだかもやもやとしたものが胸に広がって言葉に出来ない
気持ち悪さを感じた。

「…まさか、その男が迎えに来ると思ってんのか?」
ようやく吐き出した俺の言葉にのだめは口を開くのを辞め、俺を軽く睨んだ。

ああもっとあのかわいい笑顔を見ていたかったと思うのに、
昔の自分への想いを語る言葉が止まってほっとしてもいた。

「来ますよ。」

なのにのだめはふにゃりと笑う。

「絶対に彼はのだめを迎えに来てくれるんデス。だって約束したんですもん。」

それは絶対の信頼。
子供の頃の俺はのだめにとってそんなに信用が出来る男だったんだろうか?

のだめの心の中には昔の俺が住んでいて、他は全然視界にも入っていない。
今の俺を見たらきっとのだめはがっかりするだろう。

その時の顔を思い浮かべるだけで何故か吐きそうなほど胸が痛む。

だけど俺はのだめに自分が贈ったものだと言う事はない。
彼女はいつ迎えは来ないと気づくのだろう?
気づいた時あの笑顔がなくなってしまうかもしれない。

その時俺はどうするんだ??

いつか現れる新たな想い人とのだめが幸せになっていくのを見守るんだろうか?

それとも…

首を振る。
それだけはない。

俺はのだめが好きなわけじゃない。
ただ昔の思い出の女の子。
幸せになって欲しいとは思う。
笑顔をずっと見ていたいと思う。

だけど…。

のだめを幸せにするのは俺じゃない。

無邪気に笑い朝食を食べるのだめを見ながら俺は小さく息を吐いた。

 

無邪気で恐ろしく家事が出来なくて図太いのだめと生活をし始めて数日。
それなりに上手く共同生活を送っていた。
相変わらず一人では寝れないとだだをこねるのだめには困らされていたが、もう最近は諦めの境地だ。
いくら言っても夜中俺に抱きついてくるのには本気で参ったが、夜中に抱きつかれてびくびくするのは
疲れるのでもう初めから抱き込んで眠ることにした。
のだめも何も文句はないらしい。
なんか俺の体温と匂いが安心するらしく、よく眠れるとご満悦だ。

ペットを飼ってると思えばいいんだ。

まぁ、本人が人間離れしてるからな…

「今日は帰って来るの遅いんデスカ?」
ランチを食べながら聞いてきたのだめを見る。
最近は真澄や清良が一緒じゃなくてもこうやって2人でランチをとるのが暗黙の了解になっている。
まぁ、こいつが金がないって言うからほぼ奢ってやるためにだけ一緒に食べてるようなもんだが。
「いや、今日は早く帰れるけど。」
「そっかー。のだめ今日ちょっと遅くなります。」
デザートのプリンを頬張りながら話すから口の周りにカラメルソースがついている。
「ソースがついてるぞ。で、どっか寄り道か?」
呆れながらものだめの頬に手を伸ばし親指で頬についたソースをとってやる。
「いえー、お家に一回荷物取りに戻ろうかと思って。」
家?
「家って、オマエのマンション??」
「ハイー。服とか何着か持って来たいなーと思いマシテ。」
「まだ、あのストーカーがいるかもしれないから止めとけ。」
「ええっ。大丈夫デスヨー。それにヨーコが荷物送ったって言ってたから管理人さんにもらいに
行かなきゃですし。」
プリンをペロリと食べ終え、俺のぶんのデザートに手を伸ばしながらのだめは機嫌よく喋る。

ほんとーにこの女は…

なんで俺の家に避難してきたかまったくもって理解していないらしい。

「はぁ、わかった。今日は早く帰れるから連れてってやる。」
「イイデスヨ。一人で。」
「…だめだ。7時には終わるから会社前のカフェで待ってろ。絶対に一人で行ったりすんなよ。」
とりあえず強めに言い聞かせるとはーいと暢気な返事が返ってくる。
ほんとにわかってんのかコイツは?

とりあえず何度も言い聞かせ、オフィスに戻るとニヤニヤしている清良が近くに寄ってきた。
「おかえりー。」
「ああ、悪かったな抜けて。」
「いいわよー。やぁっと千秋君にも春が来たんだから。」
「はぁ??」
わけがわからない話に眉間に皺を寄せる。
「最近のだめちゃんと仲いーわねー。」
「…別に。」
清良の言葉に少しだけ焦る。
のだめがうちにいることはのだめにも口止めさせている。
だから急に俺とのだめが一緒にいるところが増えたのはまぁ不自然だろう。
とりあえず落ち着こうと席に座ると清良はニマニマした顔のまま俺の席の前までついてきた。

「付き合ってるの?」

清良の問いに思わず噴出す。
「つ、付き合ってねーよ。」

「えーでも、同棲してるんでしょ?」
「なっ!」
何でそれを!!?
ってか同棲じゃなくて同居だ!
口をパクパクさせて言葉にならない言葉を吐き出そうとする俺に清良は顔を近づけてきて
更にニヤリと笑う。
「のだめちゃんから聞いちゃったー。しかも毎晩同じベッドで寝てるんだって??」
清良の言葉に顔が青くなる。

あのバカ女、何をペラペラとっ。
さっきまで一緒だった女のバカ面を思い出す。

「女には興味ありませーんて顔してた千秋君がまさかそんなにのだめちゃんとラブラブに
なるなんて思わなかったなー。」
「いや、おい…。清良誤解だ…。」
完璧自分の世界に入ってしまった清良はうっとりと虚空を見つめる。
俺の言葉なんて聞いちゃいない。

「私2人の味方だから頑張って!」

そしてそう宣言すると満足げな顔でさっさと自分のデスクへと戻っていった。

おい。
何を頑張るんだ??
っていうか人の話聞けよ。

とりあえず誤解を解かねばと思ったがその後いきなり増えた仕事の山に忙殺され、結局
清良とは落ち着いて話をする時間もなかった。
休む暇なく修理し続けた山のように積まれた仕事もようやく最後の書類に行きついた。
中を確認してサインをし、近くにいた部下に渡す。

ようやく終わった。

急にやってきた忙しさは自分だけではなく課の全員に降りかかったらしく
もうとっくに定時をすぎた時間だというのに半分以上の人間がまだオフィスの中にいた。

時計は8時半を指している。

とりあえず一服。

そう思いタバコを手にしたところで固まった。

7時にカフェで。

昼間の約束を唐突に思い出した。

ヤバイ。

とりあえず連絡を。
脱ぎっぱなしにしていたジャケットのポケットを探り、プライベート用の携帯を探し出す。
慌てて二つ折りのそれを開くとメールの着信が15件、電話も12件。

『お仕事終わらなさそうデスカ??』
『何かありました??』



『えーと連絡取れなさそうなのでのだめ1人で行ってきマス。お仕事頑張ってクダサイ。』

最後のメールを見て立ち上がる。

1人で行くなってあれほど言ったのにっ、あのバカっ。

「千秋君??」
慌てて飛び出そうとする俺に清良が驚いた顔で呼び止める。
ああ、そんな暇ねーよ。

「悪い、今日は上がらせてもらう。」
「ああ、お疲れ。気をつけてね。」
清良の声にオフィス内の残っていた奴らも俺が帰ることを知ったらしくお疲れ様と声をかけてくる。
それに少しイラつきながらああ、と軽く挨拶を返して足早にオフィスを出た。
走りながらジャケットを着て駐車場までのエレベーターのボタンを連打する。

最後のメールが来たのは1時間ほど前。
そろそろ最寄り駅に着く頃だ。

頼むから何も起こるなよ。

車に乗り込んでエンジンをかけると携帯で電話をかけた。

「くそっ、出ない。」
イラついてハンドルを叩く。

約束の時間を忘れていた自分に非はある。
だけど一人で行くなってあれほど言っただろーが。

こうしていても不安は払拭されない。
とりあえず車を動かしてのだめの家へと走らせることにした。

電車で1時間。
車で30分。

少しでも早くあの笑顔を確認したい。

スピードを上げて車を走らす。
あの女、ほんと後で怒鳴ってやる。
俺をこんなに不安にさせやがって。

不安?

何でだ??

俺は何よりもアイツの笑顔が見れなくなるのがイヤなんだよ。

ただそれだけ。

それだけか?

車を走らせて走らせてようやくのだめのマンションの近くまできた時、急にうんともすんとも
言わなかった携帯が鳴り始めた。

のだめ着信デス。

なんて言ってあいつが勝手に登録したヘンなアニメの曲。

慌てて車を止めて携帯を開いて耳にあてた。

「のだめかっ!?」

「しゅにっんっ!」

息が切れたような舌足らずの声。
それに一気に不安が押し寄せてきた。
電話の向こうののだめは何故か息が荒い。

「おいっ。」

「タスケテっ!」

その声の後ガチャンとけたたましい音がしてのだめの声も息遣いも聞こえない。

「おいっ、どこにいるんだ!!?」

俺は血の気が引いた。

タスケテ??
助けてって…

何度も呼ぶが何も聞こえない。

車を急発進させのだめのマンションまでくると部屋まで走った。
こんなに走ったのは学生以来だ。

だけど部屋の明かりはついていなくて鍵も閉まっている。
それでも何度かノックしていると隣の住人が出てきて野田さんなら少し前に出かけましたよと
暢気な声で言った。

ますます俺の頭には最悪の状態が浮かんで頭がぐわんぐわんと痛む。

どうか無事でいてくれ。

 

なんでもっと強く言っておかなかったのか…
どうして約束を忘れてたのか・・・

最悪だ。

俺のせいだ。

俺はオマエの信用している男じゃない。

オマエの信頼にふさわしい男じゃないんだ。

駅までの道を走る。
走って走って途中で見覚えのある携帯が道に落ちているのに足を止める。

間抜けな顔のマスコットがついているその携帯はよく知っている。
のだめのヤツ。

さっきここで落としたのか??

そこは公園の入り口。

迷わず俺はそれを拾って公園へと入った。

公園は恐ろしく暗くて広い。
立ち止まるわけにもいかないからがむしゃらに方向なんて考えずにのだめの名前を呼びながら走る。

 

え?

小さく声が聞こえた。

俺があいつの声を聞き間違えるわけない。

微かな音を手がかりに走る。

「ヤデスっ!来ないでっっ!!」

 

聞こえた声に確信を持つ。

「のだめっ!!」

飛び出したのは少し中心から入った小道。
そこにこけたのか尻餅をついて倒れたのだめと前に一度見たことのあるストーカー男。

俺の顔をみてホッとしたのだめの顔。

でも俺はホッとなんて出来ない。

頭に血が上る。

「このやろうっ!」

力任せに唖然と突っ立っていた男を殴り飛ばした。

男にしては華奢な体つきのそいつは軽く吹っ飛ばされて茂みへと倒れこんだ。
まだ気がすまない。
何発でも殴ってやる。

「千秋主任っ。」

手を上げたところでのだめの泣き声の混じった声が俺を呼んだ。
振り返ると土に汚れた服のまま座り込んで泣きそうな顔で俺を見上げていた。

「千秋っしゅに…。」
泣くのを堪えていた瞳からボロボロと涙が溢れた。
俺は無意識にのだめを抱きしめた。

「大丈夫か?」
「怖かったデスーっ。」
「もう大丈夫だから。」
ギュウッとしがみ付いてくる体を抱きしめて何度も髪を撫でてやる。

よかった。
こいつを失わなくて。

もしコイツが消えてしまっていたら俺はきっとあの男を殺してた。

のだめは俺の胸の中で安心したように笑う。
この笑顔。
誰にも見せたくない。

だめだ。

気持ちが溢れる。

のだめは俺を好きじゃない。

俺ものだめを好きじゃない。

そう思い込もうとしたのに…

本当は俺はコイツが好きで。

大事で。

手放したくないって思ってる。

俺は昔の俺に叶わないから、のだめのことを好きじゃないと思い込もうとしてた。

だけど俺にはムリだ。

もう誤魔化せない。

オマエを抱きしめるのも守るのも俺だけでいいんだよ。

俺だけでいたいんだよ。

信用できない男でごめん。
だけどオマエを大事にするからだから、

昔の俺より、今の俺を好きになって。

強く抱きしめたらのだめは安心したように俺に身を摺り寄せた。

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